とぴやまのブログ(アーカイブ)

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あたりまえの生き方なんて

http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/members/COLUMN/20041115/105555/
■辰巳渚のニュースのツボ 女性の「あたりまえの生き方」が変わる

早い段階で相当な量のコメントがついているあたり、ヒットな話題なのだろう。
「あたりまえ」という表現に勘が触る人もいるだろうが、ある人のコメントの

「あたりまえではない」「人と同じではない」人生をおくりたいと思う人は多いのではないでしょうか。(少なくとも私はそうです)
また、社会の方も、積極的にではないにしても、「あたりまえ」から外れた振る舞い・生き方をする個人を「個性的」と評して受け入れる素地が、今はあると感じています(私の周りだけでしょうか?)

は前半も後半も同意見で、そう思って生きている。

話はずれるけど、(多分この話題で「傷付く人がいることが想像できないのか」という反論が出てくるので)ついでに書こう。

子供を作ることが社会貢献だというのは間違ってはいないが、子供を作らないことは、社会に貢献していない、とは言えるだろうか?

子供は親だけで育てていくものだろうか? 否である。直接、衣食住を世話する親はとても大切であるが、親だけではなく周りにいる大勢の人が関わっているはずである。人間は多くの人によって育てられているのである。

他人様の子供を育てる行為だって良いじゃないか。教師になれというのでもなく、地域の子供の世話というようなことだって、もっと小さい規模で、いたずらを見かけたら叱るということだって十分に子供を育てる行為なんじゃないかと、私は思う。

子供に対してだけじゃない、大人に対しても。後輩を育てるということは、未来を生きる人を育てるということ。子供を育てることと変わりないはずだ。

子供を物理的・生物学的に作ることじゃなくたって、他人様の子供を育てることは出来る。それは十分に大事なことなんじゃないの?