とぴやまのブログ(アーカイブ)

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あえてXXXする

http://blog.japan.cnet.com/watanabe/archives/001422.html
千夜千冊を終えて、越えて
引用の引用になってしまうが、

マクルーハンは、印刷文化が人間の経験を解体し、知性と感性を分断したと見た。

とあり、既にこの頃から、2004/07/23で貼った http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/members/COLUMN/20040722/105161/ に書かれていたような、「知識やイメージを確認するために実体験する逆転現象」の萌芽があったらしい。マクルーハンは名前こそ聞いたことはあったが、このような文脈について触れていたとは。
しかし、知識と知恵、体験と感性を同じように見なしてはいけない。この二軸を結びつけるには、もう少し言葉が必要かもしれないが、結びついていると見なすことが出来る。
そして今現在となっては、敢えてしなければ体験できない、といった状況も一部である。例としては、 噂の東京マガジン の「やって! TRY」の特別版、実際に現場に連れて行って体験させる企画。ここでは主に食文化。実際にどうやって生産・採集されているか、今の流通形式ではわかり得ない。

知識と体験、知性と感性 から離れると、上の例の食生活、「敢えて 栄養をとる食事をする」ものになっている。先日亡くなられた中野孝次氏の「清貧の思想」は「敢えて消費から離れて生活する」ものだ。スローフードスローライフなんてのもその文脈。このように時間をかけて体験するという行為が今となっては贅沢なものになっている、ということか。→ ブログ側での記述
寝床について思い出した。「今は分からないけど、そのうち分かるさ」ということ。教育(つめこみ教育?)という部分についても考えて見よう。とりあえず忘れないように書いたので、もう寝る。