とぴやまのブログ(アーカイブ)

元はてなダイアリー

物語が現実社会を駆動する

「説話論的イデオロギー」という言葉は、大塚英志の「物語消滅論」(asin:4047041793) による。自分でつらつらと纏めてみる…


光と闇、光は正義、正義は勝つ。闇は悪で敗れ去る。二元論的世界に生きる人ならこれは何ら疑うことのない常識です(本当?)。善悪の戦いは神話の時代から行われているものです。闇は度々蘇りますが、その度に光は闇と戦って勝つのです。

アメリカは正義の力を世界に示さないといけない。しかしイラクはそれに対抗する悪だ。だから戦う。」という理論は、何故アメリカが正義を示さないといけないのかという理由がありません。しかし理由なんて必要なくても良いようです。アメリカは「世界の警察たる正義」なんです。アメリカの世界政治の歴史をよく調べていないのでなんですが、どのようにこのような理論が形成されていったかは詳しく分かりませんが、20世紀・戦争の世紀で浸透して、「神話の時代からそうなっている」というような当たり前なことになってしまったのす。

そして今回の選挙での文脈は「改革」。ここ十数年の政治報道によって、改革は生活をより良くする正義であり、その改革を阻む守旧派は、既得権益にしがみつく悪だ、という暗黙の了解・共通認識が形成されてしまったようです。神話の時代から改革は良き行いであること、になったのです。そしてそれを小泉首相は利用しました。

その認識が浸透してしまったら、実際の改革の中身なんてどうでも良いのです。改革という言葉こそが正義なのです。更に首相は「命がけ」で改革を実行すると言いました。正義のために命を懸ける孤高の戦士です。孤独だからみんなで助けないと勝てません。だからみんなで力を貸してあげて一緒に悪を倒しましょう、となるのです。そういうストーリーラインが形成されてしまったのが今回の選挙です。

このように、物語を利用して言動を理由づけられることを「説話論的」と言っています。政治的に使われているので「説話論的イデオロギー」だそうです。


本物の物語において、あるキャラクタの人物設計・動機を「〜〜という設定だから」で済ませてしまって、実際に何故どうして、という描写を無視して物語が進んでいくことが多く見られるようになりましたが、その延長なのかも…