とぴやまのブログ(アーカイブ)

元はてなダイアリー

『なんで「面白いだけ」で読んじゃいけないのだろう。』ライトノベル「超」入門

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2006/05/100_5cc0.html
■わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 東大教官がすすめる100冊

で、『カラマーゾフの兄弟』が第一位になっていて、読んでみたい! って思っているけど、更に強力なな支援を一つ。


新城カズマライトノベル「超」入門 (asin:4797333383) 第3章 より

いわゆる「キャラ立ち」「キャラ萌え」。これを効果的に使用しているのは、以外かも知れませんが、ドストエフスキーです。彼の小説もぜひぜひ読んで欲しいです。
ドストエフスキーの描く「かわいそうな女の人」というのは、これはもう本当にかわいそうなんですよ。若い方には、是非とも「罪と罰」を読んで、ソーニャに萌えていただきたい。あの物語は別にクソ真面目で陰気な哲学小説なんかではなくって、ほんとに次から次へとヘンテコなキャラが出てきては主人公のロジオン君をいぢめて追いつめる、とっても愉快なドタバタ悲哀劇なんです。

あるいは『カラマーゾフの兄弟』でもいいです。あれも、非常にキャラが分かりやすい。変人ばっかですし。
真面目な文学青年だった時期に、誰しも一度はイワンの邪悪な哲学にクラッときた、いや自分はやっぱりドミートリイの行動に魅了される、みたいな経験はあるかと思います。その感覚は、最近のガンダム好きのみなさんの、
「やっぱシャアは最高だ」
「いやギレンのほうが正しい」
みたいな感じかた/楽しみかたと、非常に近いんです。いやほんとに。


小説、というか活字は、読む人と読まない人ってはっきり分かれるみたいで、先のブログエントリを勧めて、「おお、この本はやっぱ凄いんだ、読むしか!!」という人と、「イラネ」って態度の人が分かれてしまう。

娯楽だから人それぞれだし、しょうがないけど・・・
そう、本を読むのは、あくまで娯楽、楽しみ。時間を過ごすなら、面白い方が良い。勿論、新しい視点・考え方・知識が得られる、というのも楽しいことだろうけど、単純に面白いから読む。例え何かを得られたとしても、面白くなかったら覚えて貰えない。

という事を、ちゃんと取り上げていて

「読まれるべき本」
「読まれるべき小説」
というのは、
「読んだら、何かの役に立たなくては/ためにならなくてはいけない」
っていう前提がどこかにある、と僕には感じられるんです。

「役に立つ=ためになる」。そんな考えで小説を読む人たちが、どうやらこの世には存在してる……ということこそ、僕にとっては不思議なんです。
なんで「面白いだけ」で読んじゃいけないのだろう。べつに「それだけ」でもいいじゃないですか。そのうえで役に立つことがあるのかはかまわないですけど、「役に立たなければいけない」みたいな発想は僕にはよくわからんです、正直いって。

もともとフィクションというのは「そこにないもの」をわざわざ創って楽しんでるのですからして、物語の消費に生産性を求めるってのは本末転倒といいますか、むしろ社会全体の効用は低下しちゃんじゃないでしょうか。


「暇つぶしこそ読書の魅力」ってことを思い出して…… あっ気が付くと積ん読がこんなにいっぱい!