とぴやまのブログ(アーカイブ)

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映画「実録・連合赤軍」

「勇気がなかったんだ」と叫んだ最年少の少年の言葉は、全くその通りだと思うが、その叫びはあまりにも遅すぎる。人質として捕らわれた山荘の管理人婦人のことを思うと、そんな泣き言には憤りすら感じる。

丁度、「日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点」 を読んだ後だった。

この本によって、日本の従来の社会が互いに信頼を必要としない集団主義社会である、ということに気が付かされた後では、この映画で描かれている事件を人ごとではなく感じた。40年近くも前の話であるが、客観視出来なかった。

映画で描かれていた連合赤軍の彼らは、信頼や絆というものはなく、お互いを監視する戒律と、総括とは名ばかりで論理もない根性論を持ち出して暴力によって屈服させることでしか結束できない内ゲバ集団ではないか。

前述の本に基づいて、戒律の部分に着目すれば、「他者に協力しないと次に自分は助けて貰えないから」という打算の上に成り立つ、信頼を必要としない集団主義社会をとっていた従来の日本のムラ社会の、遥か延長線上に彼らがあるのではないか? 相当に距離があるとは思うが、規律遵守を良しとする集団主義社会の集団が、先鋭化してしまった果ての姿ではないか?

少なくとも自分は、大分薄まってはいるがその文化にまとわれているので、連合赤軍の彼らが犯した罪を引き起こす因子を保有していることになる。果たしてその発現を抑えることができるか? あるいは克服が無理ならば発症させずに生きられるか? これは私自身への問いかけである。


映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」