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映画「ミスト」感想 ― それが正しいかどうかなんて、一体誰が分かるのさ?

未曾有の危機を救うヒーローは、この映画にはいない。絶対に最後まで諦めずに未来を切り開いて生き抜いた、そんな活躍をするヒーローはこの映画にはいない。


外が見えない深い霧の中に閉じ込められ、その霧の中には未知の生命体が潜む。そんな未曾有の危機にあっても、そこにいた人々は団結することが出来なかった。今のアメリカを映す鏡か。

主人公達は、科学の繁栄を罪とし、生贄を捧げようとする人々を諦めて、そこを逃げ出す。
自ら生き延びたいために起こした脱出は、途中で潰えて、叶わなかった。
悔しさに叫ぶ。
観客である私にはもっと上手くできたはずだと思ってしまう。何故そこで諦めてしまう? 従来の映画の主人公なら、そこで諦めないはずだ、と。

しかし、最後の最後で、そんな考えに追い打ちをかける。
たった今起こした行動が、取り返しのつかないことを。待っていれば救われたかも知れないことを。そして最初の選択からその道を踏み外していたことを。
でも、それが正しいかどうかなんて、一体誰が分かるのさ?


一方で、対する生命体は殺人生物というような敵性はない。人間を襲う敵としては非合理であるように感じた。

クモ型は繁殖目的で襲うあたりはガチだけれども、それ以外は、例えば最初の触手持ちは、あれだけの本数の触手を伸ばしながらも、それらを遊ばせてる。紐を結んで外に行った人を襲った生命体なんかは、下半身だけ残ったのを奪いに来なかった。捕食目的にしてはガツガツしてなさ過ぎる。

そもそも、あれだけの巨体を持ち、そこから繰り出されるであろう力は相当なはずだが、店頭の窓ガラスを壊して侵入しようとしない。夜の虫型とコウモリ型に至っては、敵対したから反撃されたようなものだ。

そういった、敵性として粗のある敵、合理的ではない敵と相対するというところも、今のアメリカを映す鏡かと思ってしまう。自分たちが合理的ならば、相対する敵もまた合理的に攻撃してくる、という訳ではない。彼らには彼らなりの論理があるのだ、と。